⑦ 合気道には神秘的な印象があります。稽古で宗教儀式などはありますか?
稽古に宗教的な儀式はありません。 一見すると、宗教的に感じる動作・作法(例えば「合掌」「礼」)も、全ては合気道の稽古とその上達のための、合理的な意味合いを持っています。また、基本的に同じ動作・作法が世界中の道場で行われていることからも、合気道の稽古法や作法が、人種や宗教を超えて受け入れられるものであることがわかります。 また、それぞれの動作・作法に対して、どうしても違和感がある場合でも、それを強制されることはありません。
稽古に宗教的な儀式はありません。 一見すると、宗教的に感じる動作・作法(例えば「合掌」「礼」)も、全ては合気道の稽古とその上達のための、合理的な意味合いを持っています。また、基本的に同じ動作・作法が世界中の道場で行われていることからも、合気道の稽古法や作法が、人種や宗教を超えて受け入れられるものであることがわかります。 また、それぞれの動作・作法に対して、どうしても違和感がある場合でも、それを強制されることはありません。
合気道を稽古する人のほとんどは、社会人になってから合気道に出会います。 稽古を始める年齢や、それまでの運動・スポーツ経験等もそれぞれですが、合気道の上達にはそれほど関係がないように見受けられます。 勝敗や成績を競うスポーツが苦手でも、合気道には向いている。そんな方も、多くおられるようです。
合気道は、年齢や性別、体格を問わず、共に稽古ができる武道です。 その中でも、小柄で力に頼れない人ほど合気道を面白く感じやすい。私はそのように考えています。それは次のような理由からです。 体格が大きい人の方が、技が大きく、力強く動けることは確かです。見映えもします。ですが、体格が大きい人は、「力」や「勢い」だけでも、なんとか稽古ができてしまいます。それは、その分だけ、「技」を磨く必要性が減ってしまうともいえます。
道場や合気道特有の作法はそれほど多くありません。また、相手や道場、備品などを大切に扱う気持ちがあれば、自然と作法に適った動きとなります。 たとえ知らない作法を間違えたとしても、道場では怒られるということはありません。間違いに気づいた指導者や先輩が、そっと注意してくれるはずです。 なお、道場での一般的な作法は、「当会について」(<参考1>
合気道は、試合がなく、相手を痛めつけることを目的としないため、ケガの少ない武道です。 ただし、ご自身の身体を使って稽古をしますし、武道としての厳しさも持ち合わせています。 そこで当会では、受身の習得はもちろん、ケガをする仕組みからその防ぎ方まで、丁寧にお伝えします(ケガをしない、させない稽古を大切にしています)。また、道具を使った身体のサポートやケアについても、柔軟に取り入れています。
稽古は「宗教的」でなく、「哲学的」に行います。 合気道開祖・植芝盛平翁(大先生)は、各種の日本伝統武術を究めるのと併せて、神道や真言密教などの宗教的な行を修められました(注1)。合気道に限らず、日本の伝統的な武術・武道の創始者には、宗教的な行者が多いことも事実です。 その一方、合気道は、2代道主・植芝吉祥丸先生を始めとする先生方によって体系化され、全世界に普及しました。2018年現在、約140ヶ国に合気会の組織・団体があります(参考: